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◆あけましておめでとうございます。 旧年中は大変お世話になりまして誠にありがとうございました。 本年もお酒の誠心をお伝えする会を目指して努力いたします。 なお、倍旧のご支援を賜わりますようお願い申し上げます。
◆今年の弊店の賀状は、昨年12月14日の昼過ぎに市内吉野町寺山の大崎鼻展望台(標高約420m)から撮った写真と昭和2年1月にこの地を訪れた岩崎行親先生(七高造士館の初代館長)の漢詩「吉野寺山之賦」読下し文の冒頭を掲載しました。
撮影当日は、冬晴れの日で桜島を中心に薩摩・大隅の両半島が見渡せて、構図の真ん中には錦江湾と中天に上った太陽を入れることが出来、この景観の雄大なスケールがわかる日でした。 日頃から遠来の客人ある時にご案内する場所で、鹿児島の自然や歴史を説明するのに絶好の地。国内外いずれの皆さんでも「オーッ」と唸る場所です。
岩崎行親先生(1855-1928)は、香川出身で1894年(明治27年)にあの名知事の加納久宜に請われて来鹿され以降、明治大正を通して本県の教育・農業・勧業に多大の功績を残されました。 漢学国学に通じ西郷南洲の「敬天愛人」を教育理念とされ、「西郷ドンノエンコ」「薩摩義士顕彰」などの事業で知られる敬天塾(現在の敬天舎)も創立されました。漢詩吟詠の名典「國體詩」も先生の作。
◆「吉野寺山之賦」は全二十行の詩で、この寺山からの眺望の素晴らしさと遣韓論で官を辞した西郷南洲がこの地で若者達と開墾に励んだことを偲んで詠まれたものです。 したがって、本来は中段の西郷南洲に思いを馳せた部分が核心なのですが、飲兵衛の私はどうしても前段と後段に目がいってしまいます。
すなわち、我流の解釈をすれば… 『薩摩国の吉野山に登った朝までの雪や風はやみ清々しく晴れ渡っている 遥かに望む下界を酒のように 汲もうとするがあまりにちっぽけだ 我らがいるこの地から桜島や錦江湾にすぐ手が届きそうだ…。 本日の感動の想いは言葉で表わせない 鬱蒼と茂る樹林から薪を切って焚きながら酒を酌み交わす 眼下頭上に広がる絶景に感動がおさまらない この山頂から蒼天宇宙を仰ぎ心魂を清めよう』 となります。
さらに、この佳絶の風景と詩によって連想するに、焼酎が桜島から湧き出して錦江湾となり、南下して東シナ海や太平洋へと広がり世界に伝わってゆくのではないか。 人々の心を温め世界平和に貢献する酒になるのではないかと夢見るのです。 言わば、今年の賀状は初夢メッセージであったわけです。
◆どうか皆様にとりましてより良い一年となり、焼酎をはじめお酒の誠心が皆様に平安をもたらしますようにお祈り申し上げます。
【参考】 岩崎行親先生 作 「吉野寺山之賦」全編
登攀する薩洲吉野山 雪晴れ風静かにして天関を開く 茫々たる下界杯杓小なり 櫻岳錦江指顧の間
吉野の名我が耳を驚かす 連想する延元蒙塵の史 姦臣柄を執って国家を危くす 国家尤も要す賢良の士
智勇を推倒す一世の雄 心胸を開拓す万古の忠 南洲龍川今何れの処ぞ 寒煙蒼々二翁を憶う
一朝虎嘯すれば天地を動かす 其の志行われずんば退いて器を養う 英雄の行蔵素より斯くの如し 燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや
此の日感懐言うべからず 樹下薪を焚いて清樽を開く 風景佳絶感盡くる無し 山頂天を祭りて心魂を滌う
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